「イラク攻撃と有事法制に反対する演劇人の会」第二弾

 
あきらめない 演劇は非戦の力 

           台本=斎藤憐
                    演出=渡辺えり子

   於・新宿サザンシアター
  日時・二〇〇三・四・五
    

第一部 朗読と歌(九・一一とイラク問題を中心に)

【NO.1】M

【NO.2】
 私たちは、今失意の中、この小さな劇場に集まっています。私たち演劇にたずさわる者は、二月二十八日、紀伊国屋ホールではじめて、イラク攻撃に反対する集会を開きましたが、三月二十日の日本時間午前十一時四十五分、アメリカとその同盟国の軍隊がイラクの首都バグダッドへの攻撃を開始したからです。そして、沖縄、三沢などの米軍基地からは爆撃機が、横須賀基地からは軍艦がイラクへ向かって発進したことを知っているからです。
 この日、ブッシュ大統領は、戦争目的に関して、こう演説しました。「目的は明確だ。米国、友好国同盟国の国民は大量破壊兵器で脅す無法者の政権の思いのままにならない」と。
 大量破壊兵器、核兵器は、世界で八カ国が保有しています。これらの国は「脅威」とはされず、いつか持つかもしれないイラクを「最大の脅威」と呼んでいるのです。そして、アメリカは、イラク以上に生物科学兵器や大量破壊兵器を持っています。アメリカの保有する核兵器の数、一万個は地球からすべての生物を絶滅させる量としても、多すぎます。

【NO.3】
ブッシュ大統領は「この戦争にしぶしぶ入るが」と言い、小泉首相は「イラクはこの間国連決議を無視、軽視、愚弄してきた」と述べた。イラク武装解除のため、査察官として七年間、イラクで過ごしたスコット・リッターは、今年二月六日来日し東京大学で講演した。

【NO.4】
 国連安保理による査察は、イラクの武装解除が目的であって、サダム・フセイン政権の転覆ではありません。しかしアメリカは、査察をサダム・フセインの身辺情報収集、すなわち諜報活動に利用しました。あらゆる局面でイラクを挑発し、軍事攻撃を開始する根拠としたのです。アメリカが査察活動・査察プロセスを妨害したため、査察は九八年に中断せざるを得なくなりました。
 昨年の秋、イラクは再び査察を認めました。今回はイラクはすべての査察を無条件で受け入れています。しかし、アメリカが依然として、サダム・フセイン体制の転覆を最優先にしているため、国際法の枠組みにそったものとなっていません。
 アメリカは表面では査察を望むといっていますが、イラクの大量破壊兵器の除去が完全に行われてしまえば、経済封鎖が解かれて、再びサダム・フセインが国際社会に復帰することになります。アメリカにとってそれは絶対に容認できないことなのです。

【NO.5】
 私たちは、毎日テレビに流される爆撃の映像、攻撃側からのまるで花火大会のような映像を見ながら無力感にさいなまれています。あの一瞬の閃光の下でどれだけの数の人間の体が引き裂かれ、焼き尽くされているのかと……。攻撃命令を出したブッシュ大統領も、その攻撃を支持した小泉首相も、想像力を持たないから安眠できるのです。

【NO.6】
 二〇〇二年十月、池澤夏樹はイラクを訪れました。ハトラの遺跡を出て小さな橋を渡ったとき、彼は私たちが毎日見ているテレビ報道では伝わりにくい戦争の実態について、突然こう感じました。

【NO.7】
「ミサイルを発射する側は決して結果を考えない。彼ら軍人達はその情景を想像してはいけないと教えられている。ここ二十年で軍事技術は大きく変わったが、人工衛星による偵察やコンピューター制御以上に大きく戦争を変えたのは、相手を見ることなく、つまりまったく罪悪感なく、人を殺す技術の発達ではないか。
 アメリカ側からこの戦争を見れば、ミサイルがヒットする建造物3347HGとか、橋梁490のBとか、その種の象徴的な記号であって、ミリアムという名の若い母親ではない。だが、死ぬのは彼女なのだ。ミリアムと、その三人の子どもたちであり、彼女の従弟である若い兵士ユーセフであり、その父である農夫アブドゥルなのだ。
 ミサイルを発射するアメリカ兵はミリアム達の運命を想像しない。自分が世にも無関心な死刑執行人であること、無関心は冷酷よりも更に冷酷であること、100%無作為のこの一方的な死刑は100%誤審の結果であることを知ろうとしない。だが、彼女たちと出会い、その手で育てられたトマトを食べ、市場でその笑顔を見たぼくは、彼女たちの死を想像してしまう自分を抑えることが出来ない」と。
 しかし、私たちに見えにくいのは、戦争の犠牲者だけでなくこの戦争の意味です。

【NO.8】
 ブッシュは今回の戦争を自由のための戦争だと言っています。しかし、世界人口のわずか四%にすぎないアメリカが、世界のエネルギーの約四分の一を消費し続けている事実があります。だから、アメリカは京都議定書から離脱したのです。

【NO.9】
 二〇〇二年初冬、経済人を集めダボス会議が開かれた。その会議に米国のコロンビア大学とエール大学の共同研究の成果が報告された。環境面から見た国家の持続力、持続可能性のランキングである。フィンランド、ノルウェイ、スウェーデンが上位に並び、米国五一位、日本六二位、英国九八位である。
 では米国はどこから石油を買っているか。サウジアラビアから一四.三%。何とイラクからも一日で七八万バレル輸入している。では、各産油国は現在の石油供給をいつまで続けられるのか?  イラクが世界最大で一四〇年、クェート一三〇年、アラブ首長国連邦一二〇年、サウジアラビア八五年、イラン七〇年。世界の平均は四四年だが、アメリカはわずか残り七年である。
世界第二位の石油埋蔵量を持つイラクに、親米政権を作ることが今回の戦争の目的である。
この戦争を遂行するブッシュ政権の人々はどんな経歴の持ち主なのか。

【NO.10】
 大手軍需産業であるゼネラル・ダイナミックス社、レイセオン、ロッキード・マーチンなどには、コリン・パウエル国務長官、リチャード・アーミテージ国務副長官、ゴードン・イングランド海軍長官、シーン・オキーフ航空宇宙局長官、ノーマン・ミネタ運輸長官らが、役員、副社長、戦略顧問などとして関わっていた。
 チェイニー副大統領は、石油掘削会社ハリバートンの最高経営責任者だった。石油企業トム・ブラウン社、BPアモコ、シェブロン社などでは、ポール・ウォルフォウィッツ国防副長官、ドナルド・エヴァンス商務長官、ライス国家安全保障担当補佐官らが、コンサルタント、役員、最高経営責任者などの地位にあった。

【NO.11】 M

【NO.12】
 パキスタンのカイデ・アザム大学のペルベース・フットボーイはこう言っています。

【NO.13】
 自爆テロリストを金で雇うことや養成することなどできない。テロリストを育てる土壌は、難民キャンプのような、文明から見放され人間が屑のように捨てられる場所にあるのだ。超大国は、彼らの窮状に対して関心を示さないばかりか、抑圧的でさえあった。その政治姿勢への深い憎しみが、ついに「暗い火曜日」を招き寄せてしまったのだ。だが、「超大国への復讐」に満足を覚えるのは、愚かで残酷なことだ。今こそ何十億年にわたる生物の進化に敬意を表し、頭脳と理性を尊重しようではないか。さもなくば人類という種が生き残る保障はない。

【NO.14】
 現在のイラクがフセインの軍事政権下にあり、言論の自由も反政府運動もできない国であることを私たちは知っています。しかし、戦後、アメリカの軍事力で民主主義を植え付けられた日本が、半世紀後の今もアメリカを批判できないという事実を考える必要があります。

【NO.15】
 イラク国民の手によって、自由と民主主義を獲得できない絶望を、詩人バドル・シャーキル・アッ・サイヤーブはこう歌います。

【NO.16】
ああ 無言の 無言の墓地よ 汝等の悲しき小道で
おれは咆える
  叫ぶ 
叫び
  悲嘆の声を上げる
沈黙のうちで おれは聞く
闇の中に散らばる激しい雪
孤独の足音が鳴り響く
あたかも鉄と石でできた獣が
生命を嗤うように 命のかけらすらない 夜も 昼も
 

【NO.17】
三月二十四日、ブッシュ大統領は議会に対し、イラク攻撃に要する戦費など追加予算約八百億ドル(九兆六千億円)の承認を求めました。
 湾岸戦争の総費用は八百億ドル。そのうち、同盟国が約半分を負担。当時の海部内閣は、百四十億ドル、一兆八千億円の拠出を迫られました。

【NO.18】
 ボストン大学のハワード・ジン名誉教授はこう言っています。

【NO.19】
 アメリカはこれまで「テロリストにメッセージを送るため」に世界の国々へ爆撃を繰り返してきた。爆撃は、無駄な抵抗はヤメロというメッセージだ。レーガンはリビアを爆撃し、ブッシュはイラクに戦争を挑み、クリントンはアフガニスタンとスーダンを爆撃した。……そこで殺されたのはテロリストではなく、貧しい人々だった。
 そして、あの九月十一日に、逆にテロリストたちからアメリカにメッセージが届いたのだ。
 政治家やテレビの報道番組がどんな理由をつけようと、「私は戦争には行かない」と決意することが必要だ。なぜなら、今日の戦争はかならず無差別な戦争、罪のない人々に対する戦争、子供たちに対する戦争だから。戦争はテロリズムである。
 ブッシュは言う。「米国の側に付くのか、テロリストの側に付くのか」。そうではない。国家の側に付くのか。爆弾の下にいる人間の側に付くのかなのだ。

【NO.20】
 国連世界食糧計画によると世界の飢餓に苦しむ人、八億人。彼らが必要としている一年分の食糧は九八〇億ドル。
 9.11の同時多発テロ後のアフガン攻撃と対テロ戦争拡大のなかで、米国の軍需産業は空前の利権を得ています。アフガン戦争直後の二〇〇一年十月二六日、米国防省は次世代戦闘機の開発と製造を軍需企業のトップ、ロッキード・マーティンに委託することを決めました。受注契約高は二〇〇〇億ドル。日本の国家予算の四分の一以上の途方もない額で、史上空前の契約後、ロッキード社の株が高騰し、CEOらは「不況のなかこの受注によって危機を脱した」と述べています。

【NO.21】
 9.11の報復としてアメリカは、三〇〇〇億ドルの軍事費を使ってアフガニスタンを攻撃しました。つまり、世界で飢餓に苦しむ八億人を三年間援助できる金額です。しかし、先頃開催された「アフガン復興支援会議」で、さんざんアフガン国内を爆撃し、無関係の市民を殺したアメリカは復興費用負担を出し惜しみ、アフガン復興支援国際会議長国の日本を困らせています。では、アフガンの戦争と復興とはなんでしょう。

【NO.22】
 アフガン会議でカルザイ議長が来日した際、日本のマスコミはカルザイ氏をして流ちょうな英語を話すベストドレッサーなどと持ち上げていました。アフガン国内にパイプラインを通して米国が天然ガスの入手をするために、サウジアラビアのような親米独裁政権を必要としていました。
 中央アジアガス会社(CentGas)はまさにそのエージェントであり、その中心人物が現在アフガンの大統領におさまっているカルザイ氏であることをマスコミは伝えません。
 中央アジアの天然ガスを手に入れるため、9.11を利用し、テロに対する名目で行なわれた戦争が、アフガン戦争なのでした。
 カルザイは米国の巨大石油資本メジャー、ユノカル社の最高顧問として米国に滞在し、CIAやブッシュの父とも多様な交流、交友関係があります。カルザイの大統領就任後、米国にとって懸案だったアフガン縦断天然ガス、石油のパイプラインの起工式が行なわれています。

【NO.23】
 イラクの復興費用は「五年間で四百五十億ドル」です。
 小泉首相は、アメリカが爆撃したイラクの戦後復興にお金を出すと言い出しました。
 三月二十二日付のワシントンポストは、アメリカ国際援助庁はイラクの戦後復興は国際機関やNGOを排除し、米企業と契約すると報じました。チェイニー副大統領が最高経営責任者を務めた石油掘削会社ハリバートンの子会社も戦後復興に名乗りを上げています。

【NO.24】
 マサチューセッツ工科大学教授のノーム・チョムスキー教授は、こう言います。
 アメリカの援助額が一番多いのがパレスチナ人を殺害しているイスラエルと、二百万人のクルド難民を出し五万人を殺害したトルコです。この二つの国は、中東において、アメリカのいうなりになる国だ。現在、トルコ軍はアメリカの資金でアフガニスタンのカブールを防衛しています。つまり、一九九〇年代に最悪のテロを行った軍隊が、今はテロとの戦いの一翼として、アメリカというテロ国家から資金をもらっているのだ。
 そのトルコをイラクへの侵略拠点とするため、アメリカは二六〇億ドルという買収金を見せつけましたが、トルコ国民と議会は拒絶しました。

【NO.25】
 今、私たちは、この国の中で孤立しているように感じられます。しかし、世界には孤立を恐れない人々がいます。
「あの9・11のテロの後、アメリカ全土で「テロとの戦い」を支持する声の中、アメリカ下院でたった一人反対票を投じたバーバラ・リー議員は、二〇〇一年九月十四日の議会演説で、また、今回のイラク攻撃に関して、こう述べています。」

【NO.26】
ブッシュ大統領は、米国はサダム・フセインによる脅威に曝されているため、イラクを攻撃しなければならないと演説しました。彼は、危険に曝されているという証拠や、イラクが我々に対して大量破壊兵器を使うという意図を示す証拠すら提示していません。
 世界中の国々や人々は、自らの政権をよその国から強制されることに反対なのです。
 フセイン政権が崩壊したほうが、よいということに誰も異論はないでしょう。でも、この地球から大量破壊兵器が排除されることの方がもっと喜ばしいことではないでしょうか。
 私たちは、過去の過ちをくり返してはなりません。一九六四年、連邦議会はリンドン・ジョンソン大統領に、敵を撃退してさらなる侵略をくい止めるため、「必要なあらゆる手段をとる」権限を与えました。それによって、連邦議会は憲法上の責務を放棄し、長年にわたるベトナムでの宣戦布告なき戦争へと国の進路を誤らせたのです。
 そのとき、トンキン湾決議に反対したわずか二人の議員の一人であるウェン・モース上院議員は次のように語りました。「歴史はわれわれが合衆国憲法をくつがえし、骨抜きにするという重大な過ちを犯したことを書き残すであろう」と。
 そして私は信じます……二十一世紀には、次の世代の人々が、いままさに歴史的過ちを犯そうとしている連邦議会を、当惑と失望をもって振り返るであろうことを」と。

【NO.27】
 地球と名付けられたこの惑星には、今日もアメリカの情報産業の流す膨大な電波が飛び交っています。
 アメリカのメディアはなんでもします。湾岸戦争当時、アメリカ議会で、クエートの女性が「イラク兵が保育器の中の赤ん坊を投げて殺した」と証言して、国際世論を揺るがしました。この証言はクウェート大使の娘をモデルに使ったアメリカの広告代理店の演出でしたし、原油まみれの水鳥のでっち上げ映像も多くの人々を動かしました。私たちは、自分たちの声があまりにもか細いと不安になります。
 しかし、私たちは、三千年の歴史を持つ、演劇に携わる者です。
 私たちの先達は私たちにこう語りかけています。
 多くの観客を得るためではなく、人々の胸に深く突き刺さる言葉を。そして、墓掘り人夫自身が土に還った後にも、生き延びる台詞をと。

【NO.28】 M 
【NO.29】
 私たちは、今日ここに集まりながら、「集まって何になるのだろう」と感じています。
 昨年の十二月八日、虎ノ門のホールに二百人の人々が集まって「殺すな! ベトナム、アフガン・パレスチナ・イラク……」というシンポジュームが開かれました。そこで、小田実さんはこんな話をしています。
 ベトナム戦争当時、相模原市の米軍基地から連日のように修理された戦車が運び出され、ベトナムに送られていました。これを市民や学生、社会党も共産党もいっしょになって座り込みをし、百十数日間にわたって戦車を止めたことがあります。
 しかし、やりながら、「こんなことをして何になるのか」とたえず思いながらやっていました。
 それから三十年経った2002年五月、小田さんたち脱走米兵を匿った人々がベトナムに向かい、あまり日本語のうまくない通訳から、たどたどしい日本語で次のような話を聞きます。

【NO.30】
 若き日の通訳氏はトンネルにこもって米軍と戦っていた。雨はジトジト降るし、敵のヘリコプターからは「そんな抵抗はやめて、早く家に帰りなさい」との呼びかけ。「お父ちゃん、帰ってきて」などという家族の声の録音テープが聞こえてくるし、解放戦線の志気はどんどん落ち込んでいく。そこで、私たちはNHKの短波ラジオをつけて気をまぎらわせていました。そうしたら、「日本の市民が反戦運動をやっている」というニュースが聞こえてきた。驚いて、それをベトナム語で教えたら、みんなが元気を取り戻したんです。

【NO.31】 
「私は泣かずにはいられない」

【NO.32】
 と、ニューヨーク私立大学教授ジョン・ゲラッシは書いている。

【NO.33】
世界貿易センターへのテロで愛する者を失った人々が、テレビで語る胸を引き裂かれるような話を聞いて、私は涙を抑えることができなかった」と

【NO.34】
けれども、それと同時に自分をいぶかしく思った、とゲラッシは書いている。

【NO.35】
 ノリエガ将軍を捜し出すという口実で、米軍がパナマのエル・チョリージョ地区の五千人の貧しい人々を殺したとき、私はなぜ泣かなかったのか。いや、その前に、米軍が二百万人のベトナム人を殺したとき、なぜ泣かなかったのか。
 ある日、私が犠牲者のために献血に行くと、私の三人前に一人のカンボジア人が順番を待っていました。「アメリカの敵」とポルポトが戦っているからと、彼らに武器と資金を渡したことによってアメリカが二百万人の虐殺を支援した時、私はなぜ泣かなかったのか。
 泣き出すのを堪えようとして、ダウンタウンに映画を見に行きました。『ルムンバの叫び』です。
そして気づいたのです。米国政府がコンゴ唯一の高潔な指導者ルムンバ殺害のお膳立てをして、悪辣なモブツ将軍を助けたとき、私は泣かなかったということを。第二次世界大戦で日本の侵略と戦い、独立を手に入れたスカルノ大統領の失脚をCIAがお膳立てして、日本軍の協力者だったスハルトが五十万人を虐殺したとき、私はなぜ泣かなかったのか。
 私は昨夜も、貿易センタービルの被害者の遺族が、今は亡き夫が生後二ヶ月の息子と遊んでいるテレビ映像にまたもらい泣きしてしまいました。
 しかし、エルサルバドル人の虐殺を知ったあの日、アメリカ人の修道女のレイプや殺害がCIAが訓練した男たちによって行われたことを知ったとき、私は泣かなかったことを思い出していました。

【NO.36】
 このジョン・ゲラッシ教授の文章を読んで、私も思い出しました。
 一九八八年、アメリカがネルソン・マンデラの「アフリカ民族会議」を公式にテロ組織と決めつけた時、日本は同盟国アメリカに何も言いませんでした。
 サダム・フセインが残虐行為を繰り返していた間、アメリカはイラクの大量殺戮兵器の開発を手助けし、クルド人に毒ガスを使うことを黙認しましたが、日本は軍事同盟を結んでいる国に何も言いませんでした。
 アメリカがソ連のアフガニスタン侵攻に対抗するため、オサマ・ビンラディンたちゲリラ組織を作りあげた時も、日本は何も言いませんでした。
 そして、そのいずれの場合も、私は日本政府に何も言いませんでした……。

【NO.37】
 今回の英米によるイラク攻撃には、「イラクの大量破壊兵器の廃棄」のために「米英の大量破壊兵器を投入する」という根本的な矛盾を内包しています。
 米国は今回の攻撃でも、核兵器使用の可能性を否定してはいないばかりでなく、日本の核武装さえ提言しています。
 アメリカのイラクに対する軍事攻撃を日本政府が支持する表明をした時、この惑星に住むたくさんの人々は、私たち日本人があの広島、長崎の痛みを忘れたと感じています。そして、先の戦争で死んだ英霊とその家族を悼む小泉首相の神妙な顔つきを、日本国民はとうてい信じることはできません。小泉首相。あなたは広島・長崎の被爆者に対して「米国の原爆投下は正しかった」と言うべきです。

【NO.38】
【NO.39】
【NO.40】
 イスラエルのパレスチナ人への暴虐に出会ったとき、シリアの詩人ニザール・カッバーニーの祖国はパレスチナになりました。

【NO.41】
悲しみの祖国よ
お前は ぼくをまたたく間に変えてしまった
愛や歓びの詩を書く詩人から
ナイフを使って書く詩人に

【NO.42】
 そのカッバーニーは広島の惨劇を知り、広島も彼の故郷になりました。

【NO.43】
愛するものよ、私の心は、閉ざされてしまった街だ。
月の光は、その街を訪ねることを怖れ、
破壊されたその柱たちは、
月明かりを纏うことをとまどい、
棄てられた遊歩道は、雪と落ち葉に埋まっている。

私の街 ……
私の街が、
愛しき者よ、
お前と何のかかわりがあろう?
広場は蠅のむらがる穴だらけ。
あの街には、
たった一人の友しかいない。
「とまどい」という名の。

【NO.44】
 シリアのダマスカスから広島の町を歌えるなら、私たちはいま、この日本からバスラの町を歌える筈です。アメリカにも、報復の連鎖を断ち切ろうと考える想像力を持った人々がいます。
 9・11のテロで息子グレッグを失ったフィリス&オーランド・ロドリゲスは、ニューヨーク・タイムズにこんな手紙を送っています。

【NO.45】
 私たちには、今回の惨事について毎日のように流れる膨大なニュースをテレビで見ることができません。でも、新聞を読んで、我が国の政府が暴力による復讐に向かっていることを知りました。そのような復讐が行われれば、遠い国の息子や娘、親や友人たちを死なせ、苦しめることになるでしょう。それは私たちの悲しみをさらに深めることになります。それは進むべき道ではありません。そんなことは、息子の死の恨みを晴らすことにはなりません。どうか、私たちの息子の名において復讐することをやめて下さい。

【NO.46】
 現在のアメリカは、日米戦中の日本のようです。反戦を訴えた高校生は、放校処分になり、ブッシュを批判したテレビ番組から、スポンサー二社が降りてしまいました。しかし、クリーブランド選出のデニス・クシニッチのような下院議員もいます。

【NO.47】
私が思い描くアメリカとは、単独行動主義の代わりに世界調和を求める国であります。最初に攻撃するのではなく、最初に手を差し伸べる国。世界のひとびとの重荷を軽くするために努力する国。援助を乞われたら、爆弾ではなくパンを、ミサイルではなく医療援助を、核物質ではなく食料を分配するのが私のアメリカなのです。
 アメリカは世界を守る助けができます。世界を救う助けができます。しかし、世界を管理することはできないし、私たちもそれを望むべきではありません。
 現在の安全保障の方針では、アメリカは世界のどこでも好きに攻撃でき、最初に核兵器を使えるとしています。
 我が国は今やイラクへの戦争を国をあげて行うとしています。イラクはアメリカに対していかなる敵対行為もしていません。
 イラクは九月十一日のテロ攻撃には責任がありません。炭疽菌事件にイラクは責任がありません。
 何故、我が国は三十万人もの我が若い男女をバグダッドやバスラの市街戦に送り込もうとしているのでしょうか。
 なぜ我が国は、イラク破壊のために二千億ドル以上の、汗水たらして私たちが稼いだ税金を注ぎ込もうとしているのでしょう。
 なぜ我が国は、歴史上かつてないほど強力な軍事力でイラク国民を攻撃し、彼らの家やビルを破壊し、水道や送電施設を壊滅し、彼らの食料や医療品の補給を絶とうとしているのでしょう。
 その答えは、石油経済、兵器輸出の利益、歪んだ帝国建設主義を抜きには考えられません。
 戦争について政府に批判的なことは非愛国的だと信じる人たちがいます。その人たちは政治的には経済問題を論じた方が利口だと思っています。
・イラクの無実の人々の健康と生活を破壊するのに何千億ドルも使うのに、なぜアメリカ国民全員に健康医療補助をできないのか。
・アメリカはサダムフセインを引きずり下ろすのに何千億ドルも使うのに、なぜ自分の国民の退職保険を保護する金がないのか。
 イラクのユーフラテス川の橋を爆破する金がアメリカにはあるのに、なぜここクリーブランドのクヤホガ川に橋を建設する金がないのか。

M ピアノでアメリカ国歌、静かに。

 世界の独裁者に対して、彼らを爆弾で黙らせたいという誘惑を抑えて交渉するには忍耐が必要です。
 大きな力を持ちながら世界でそれを優しく使うには知恵が必要です。
 そして、厳しい生活環境や抑圧的な政府のもとで、つましい生活を送ろうとしている世界の人々の苦しい状況を理解するには、思いやりが必要です。

【NO.48】
 クシニッチ議員の「私の思い描くアメリカ」の演説を聞いて、「私の思い描く日本」はどんなものか考えました。日本が九十億ドル、一兆円を超えるお金を差し出したあの湾岸戦争で、日本は劣化ウラン弾を落とす側に立ちました。
 一兆円あれば、東に災害が発生すればいち早く救援輸送機を飛ばし、西に難民が出れば大型船で助けに行き、南の発展途上国には井戸掘りボランティアを送り、北に紛争が起これば行って「つまらないからやめろ」と言うことだってできるはずです。私たち日本人が、爆弾の落ちる側、明日の食べ物もない側に立って汗を流し続ければ、私たちはテロに怯えることもないのです。世界第三位の防衛費を使う必要もないのです。

【NO.49】
  現在、米軍はイラクやトルコにひどい目に遭わされたクルド人達を反フセインの戦力にしようと画策しています。しかし、たとえばカンボジアで米国はあのポルポト政権を援護して、数百万という大虐殺を招きました。残されたカンボジアの人々の間には怨念だけが残りましたが、米国はカンボジアのことに全く関心を示していません。

二 「ブッシュ大統領へ」

【NO.50】
 ブッシュ大統領、あなたは今、無法な戦争をはじめ、私たちの日本はその人殺しに荷担しています。
 ブッシュjr。あなたはイラク国内にあるかもしれない大量破壊兵器に目を凝らすより、自分の足下を見るべきです。あなたの国には三六〇〇万人の貧困層がいます。あなたの国の二七〇〇万人は、読み書きができないので、職に就けません。四〇〇万人が健康保険に加入しておらず、三〇万人がホームレスです。十代の妊娠中絶、麻薬使用、暴力行為は先進国中で最高値を示しています。犯罪を犯して牢屋に入っている者は、往年のソ連の強制収容所をしのいで世界一なのです。
 にもかかわらず、あなたの国の国民が支払う税金は、それらの貧しい人には廻らず、世界の貧しい人々を殺すための軍事費に使われています。
 あなたは自分たちは文明人だから、正義のための戦争以外には武器を使わないと言います。
 本当ですか。第二次世界大戦以降の半世紀、あなたの国の軍隊は、中国、朝鮮、グアテマラ、インドネシア、キューバ、コンゴ、ペルー、ラオス、ベトナム、カンボジア、グレナダ、リビア、エルサルバドル、ニカラグア、パナマ、イラク、ソマリア、ボスニア、スーダン、ユーゴスラビアを爆撃しています。
 私たちは知っています。あなたの国の一%のお金持ちの資産が、残りの九十五%の全資産と同じだという現実を。
 もし、あなたが世界一豊かなアメリカ国内に査察団を送り、貧困と暴力の原因を知ろうとすれば、世界十億人の仕事のない人々の怒りがお判りになるはずです。
 あなたは繰り返し「悪の枢軸」という言葉をお使いになりますが、つい先だってまで、「悪の枢軸」はソ連とベトナムでした。その前には、日独伊の三国でした。
 ソ連とベトナムには、あなたの国とその同盟国が対峙していました。日独伊には、連合国が立ち向かいました。
 しかし今、世界人口の四・五%にすぎないあなたの国が、世界の資源の三十%を浪費し、あなたの国の軍事力に対して、日本と全ヨーロッパが束になったとて、対抗できない事態に立ち至りました。全世界の九十五・五パーセントの人々が、あなたの国の武力行使に反対しようとも、軍事力ではもはや対抗できません。
私たちは、この現実から目を離す楽観主義者ではありません。
 私たちは、私たちの無力を知っています。
 あなたの国は、一万個の核兵器を持っていますが、私たちは想像力と言葉の本来の機能を知っています。
 私たちは、地球上の残りの九十五パーセントの人たちに言葉を発します。
この世界は、この地球はあなただけのものではありません。

 台詞終わり、毬谷友子、上出。渡辺えり子、下手に退場。 

【NO.51】

M .
【NO.52】(大西孝洋)
 今回のイラク攻撃は、三つの点で国際社会が作りあげてきたルールを踏みにじりました。
 第一は、ひとつの国が一方的に「攻撃を受ける」と判断して、先制攻撃をしたこと。
 第二は、ひとつの国が「独裁者によって国民が苦しんでいる」と一方的に判断して、政府の転覆をもくろんだこと。
 第三は、ひとつの国が、戦争回避のための唯一の国際機関、国連を無視したこと。
 第一次大戦の未曽有の惨禍を経験し、その反省のもとに、アメリカ大統領ウィルソンの提言に添って国際連盟は創設されました。しかし、そのアメリカ自身が加盟せず、続いて日本、ドイツ、イタリアが脱退し、第二次世界大戦にいたりました。
 その苦い反省のもと、第二次世界大戦後に国際連合が発足しました。
 一九九〇年代の初頭にソ連が崩壊したとき、ニューヨークタイムズはこう書きました。「ついに国連は、ソ連の拒否権なしに、機能を果たせることになるだろう」と。
 しかし、一九六〇年代以降、国連の場でいちばん拒否権を行使したのは、アメリカ、続いて英国です。
 現在アメリカはCTBT、包括的核実験禁止条約を批准せず、国際刑事裁判所を否定し、京都議定書にも反対し、国連分担金も滞納しています。
 日本政府は安保理の常任理事国となるために水面下で根回しを続けていますが、国連憲章に違反するアメリカの攻撃に対してNOを言えない日本に、常任理事国になって欲しいと、どこの国が望むでしょうか。
 小泉首相。
 あなたには、この列島に住む私たち日本人をアラブの人々の憎悪の対象にする権利は持っていません。「日米軍事同盟」のお陰で、米軍基地が集中する沖縄のあの豊かな自然を、日本でもっとも危険な地域にする権利は持っていません。
 あなたは今回の米国による戦争に反対する行動を「衆愚政治」と批判されました。私たちは今、あなたを首相に選び、あなたを支持した私たちが「衆愚政治」に冒されていたことを知ることとなりました。
 小泉首相は、日本の外交方針を、国連主義から軍事同盟へと変えた戦後初の首相として、長く記憶されるでしょう。


  講演 

【NO.53】

第二部 プロローグ

【NO.1】
 四月になっても雪の解けないカナダ国境に近いプレスクワイルに住むシャルロット・アルデブロンは学校の作文コンテストに「星条旗」についてこう書きました。

【NO.2】
 布きれの旗が大事にされているのに、ホームレスは大切にされない。合衆国建国の父、トマス・ジェファーソンはがっかりするだろう。

【NO.3】
 この作文を見た国語の先生は、「愛国心のないことを書いた子供がいる」と言いました。
 エイズ予防のためのアメリカ政府機関で働く母親とともにコンゴ、マリ、中米ハイチに移り住み、新聞が書かない内戦の続く国々の子供たちを見てきたシャルロットはこう書いています。

【NO.4】
 イラクの二四〇〇万の国民の半分が一五歳より下の子供です。私みたいな。私はもうすぐ一三歳になります。私のことをよく見てください。イラクを攻撃するとき、考えなきゃいけないことが分かるはずです。みんなが破壊しようとしているのは、私みたいな子どものことなんです。
 もし、運が良かったら、一瞬で死ねるでしょう。九一年の二月一六日にバグダッドの防空壕でスマート爆弾に殺された三〇〇〇人の子どもみたいに。そこでは爆風による激しい火で、子どもと母親の影が壁に焼き付けられてしまいました。
 そんなに運が良くなければじわじわと死んでいくでしょう。ちょうど今、バグダッドの子ども病院の「死の病棟」で苦しんでいる一四歳のアリ・ファイサルみたいに。アリは湾岸戦争で劣化ウラン弾による悪性リンパ腫ができ、がんになったのです。
 もしかしたら、傷みにあえぎながら、死んでいくかもしれません。寄生虫に大事な臓器を食われた一八ヶ月のムスタファみたいに。ムスタファは二五ドル程度の薬で治ったかもしれなかったのに、イラクに対する制裁で薬がなかったのです。
 サルマンのお父さんは、家族みんなを同じ部屋で寝させました。そうすれば一緒に生き残れるか一緒に死ねると思ったからです。
 アリはお父さんが殺されたとき、三歳でした。アリは三年間、毎日お父さんの墓を掘り返しました。「大丈夫だよ、お父さん。もう出られるよ。ここにお父さんをとじこめたやつはいなくなったんだよ」
 でもアリ。違うの。そいつらが戻ってきたみたいなんだよ。
 これが自分たちの子どもだったら、どうしますか。
 子どもたちが手足を切られて苦しんで叫んでいるのに、痛みを和らげることも何もできないことを想像してみてください。娘が崩壊したビルの瓦礫の下から叫んでいるのに、手が届かなかったら、どうしますか。自分の子どもが、目の前で死ぬ親を見た後、おなかをすかせて独りぼっちで道をさまよっていたらどうしますか。
 これは冒険映画でも、空想物語でも、テレビゲームでもありません。これがイラクの子どもたちの現実なのです。
 いつものように私は、どう感じるのか伝えたいと思います。ただし、「私」ではなく、「私たち」として。悪いことが起きるのをどうしようもなくただ待っているイラクの子どもたちとして。何一つ、自分たちで決めることができないのに、その結果はすべて背負わなければならない子どもたちとして。声が小さすぎて、遠すぎて届かない子どもたちとして。

 第二部 『今、世界各地の「この子」たちは』

  地人会(構成:木村光一)より

【NO.5】
 フランスの海外領土レユニオン島に住むドミニク・ラマサーは、島の新聞に二〇〇一年九月二十四日、「同時多発テロ」のニュースが全世界で報じられる中、投書を寄せた。

【NO.6】
 今日もまた、三万五千六百十五人の子供たちが死んだ。
場所。この惑星の貧しい国。特集番組なし。新聞論説なし、大統領のメッセージなし。黙祷、なし。犠牲者追悼式、なし。株式市場、変わらず。この犯罪の委任者、豊かな国家。
 世界人口の二〇パーセントの先進国の国民が、この惑星の資源の八〇%を消費している。ニューヨークへの攻撃を非人間的と言うなら、年間、一三〇〇万人の子供たちが死ぬに任せている私たちをどう表現したらよいのか。

【NO.7】
 エルサルバドルは美しい砂浜と緑濃い山々に恵まれた、中央アメリカの平和な小さな国です。そこには色とりどりにぬられた泥の家が立ち並ぶきれいな村もあり、またさびれたままになっているところもあります。田舎道で遊ぶ子どもの姿は見られず、たまに犬が通るだけです。共同墓地へいくと、若い犠牲者が数多くいることがわかります。その大半は反政府活動に参加したわけでもないのに、このうえなく非人道的なやり方で政府軍から拷問を受け、暴行を加えられた犠牲者たちなのです。

【NO.8】
 エルモゾテはこの国の山間部にある小さな村です。ある日、政府軍がやってきて、女と子供は村の広場に集まるようにと命じました。
 その時のことを、三人の子どもの母親であるルーフィナ・アマーヤ・マーケイスはこう語っています。

【NO.9】
「軍がやってきたのは午後でした。そして、みんなにうつぶせになれと命じました。子どもたちまで道にうつぶせにさせられました。そのまま何時間も動けなかったのです。……皆殺しにされるんじゃないかと思いました…、その場で死刑を宣告されると思ったんです。」
 でも、その晩は何も起こりませんでした。でも翌朝まだ夜の明ける前、兵士たちが家々のドアを叩きました。全員外に出ろと言うのです。住民たちは暗い中で何時間も立たされました。子どもたちはおなかをすかせて泣き出しました。夜が明けると、ヘリコプターが一機飛んできて軍の士官たちが下りて来て兵士となにやら話をしていましたが、やがてまた飛び立っていきました。
虐殺が始まったのはそのあとです。
 男たちは眼かくしをされて教会へ連れていかれました。女と子どもは一軒の家へ集められました。
ルーフィナは震えながら男たちが殺されるのを見ていました。彼女の夫もそのなかにいたのです。

【NO.10】
 「教会には窓が一つあって、そこからなかでなにが起こっているかが見えたんです。女たちは叫びはじめました。殺さないで。殺すのはやめて。どうか殺すのだけはやめて」
 それから若い女たちが外に連れ出され、レイプされ、殺されました。子どもたちは母親から引き離されました。残った女は反政府活動について尋問を受け、そのあと家の中へもどされて射殺されました。
 兵士は住民のかくれていた家に火をつけ、ひとりも逃すまいとしました。虐殺は一日中続き、大人をほぼ全員殺してしまうと、こんどは子どもに目を向けました。なんとかかくれおおせたルーフィナは、兵士が子どもの処理について話しているのを偶然耳にしました。
「残った子どもはどうする?」
(ひとりがききました。)
「殺そう。大人になってゲリラになるかもしれないからな」
(もうひとりが答えました。)
「早いところ片づけてしまおう」
最初の兵士は、子どもは殺したくない、何人か連行すればいいのではないか、といって躊躇しましたが、もうひとりの兵士は主張しました。
「皆殺しにしろ、というのが連隊長の命令だ。われわれはそむくことはできない」

【NO.11】
 八歳のホセ・ゲイバーラは幼い弟と一緒に兵士に捕らえられました。子どもがひとりずつ殺されていくのを見て、ホセは生きのびられるかどうか試してみようと決心しました。

【NO.12】
「あいつらが僕の弟をはりつけにするのが見えた。弟は二歳だった。僕ももうすぐ殺されるとわかった。それなら、逃げて死ぬほうがましだと思ったんだ。だから僕は逃げだした。兵士の間をすりぬけて薮のなかへ飛びこんだ。あいつらは薮に向かって発砲したけど、当たらなかったんだ」
 
【NO.13】
 首都サンサルバドルの子どもたちも、いつも危険にさらされていました。八歳のマリアは兵士に追われて母親と一緒に逃げました。

【NO.14】
 「並んで走っているときママが背中を撃たれたの。わたしは、ママ、撃たれたわよ、と叫んだわ。ママはまだ走りつづけていたから、痛みを感じなかったんだと思う。でも、すぐに走れなくなった。ママは私にナップサックを渡して、逃げなさいといったの」
 マリアはなんとか逃げきってかくれることができました。かくれているあいだ、ひとりの兵士が六歳の少年を撃ったのを見ました。マリアが近づいてみると、少年はまだ息をしていました。マリアは少年の傷をきれいにして包帯をまき、助けてくれる人に会うまでの二日間連れて歩きました。あとになってマリアは母親の死体を見つけました。母親は銃弾を受けて死んだわけではありませんでした。そのあとで受けた残酷な仕打ちのせいで死んだのです。

【NO.15】
 エルサルバドルの内戦は今はもう終わり、ひどい殺戮もなくなりました。といっても、子どもたちにとって毎日の苦しい生活は続いています。国民の半分は失業中なのです。子どもたちも、食べてゆくためには、ただ同然の賃金で働かなければなりません。大きな町の通りでは物乞いをしたり、駐車中の車の番をしたり、宝くじを売ったりしています。わずかのお金をかせぐために、自らの健康と命を犠牲にする子どもまでいます。口にガソリンをふくんで火を吹くという大道芸をするのです。そんな子供たちは長生きはできません。体を悪くし、肺の感染症で死ぬのです。
八歳のラファエルは何年も前から、道端で火を吹く芸でお金をかせいでいます。

【NO.16】
 「火を吹くしかないんだよ。父さんは死んだし、母さんと生きていくために、どうしてもお金が要るだろう。弟も僕と同じことをしているよ。僕はここでは難民だから、働かなきゃいけない。口の中が熱いし、これで死ぬことになるかもしれないって分かっているけど、ほんとうにほかにどうしようもないんだよ。」

【NO.17】
世界中の紛争を取材してきたジャーナリストの多くが、いままでに見た中でモザンビークの内戦が最悪だと言います。子供たちは意図的に残忍な人間に作り変えられました。精神的に打ちのめされてから、冷酷な戦士に仕立てあげられるのです。

【NO.18】

   M
   


【NO.19】
 兵士たちは子どもに対しても無情で、拷問をしては殺しました。子どもに命じて両親がいる家に火をつけさせたり、親を殺させたり、あるいは子どもの目の前で親を殺して死体を切りきざんだりしたのです。そのあと、おびえた子どもを連行し、軍の基地で戦闘に利用しました。子どもたちは 訓練を受けて残酷な殺人機械に仕立てあげられるのでした。
 五歳の時、反政府軍にさらわれたリカードは今は孤児院で暮らしています。

【NO.20】
 「あいつらは僕の村へやってきて、皆殺しにしたんだ。僕の両親は逃げきった。僕もいっしょに走ったけど途中ではぐれてしまった。あいつらは、殺さなかった男の子を全員捕虜にして連行した。何日間も飲まず食わずで歩かされた。少しでもおしっこが出た時には、それを飲んだ。もし誰かが弱った様子を見せたら、みんな殺される。逃げるなんてとんでもない。」

【NO.21】
 子どもたちは、たいてい言葉の通じない地域に連れていかれました。モザンビークには六十以上の言語があるのです。こうして家族や社会から切り離せば、支配するのがずっと楽になるからです。子どもたちは非人間的な軍事訓練を受け、孤独と苦しみのなかで、上官を尊敬しはじめるようになるのです。

【NO.22】
 「僕は兵士だった。指を一本、戦闘で失った。たくさんの人を殺したよ。そうしろと言われたからそうしたんだ。そういう決まりだったのさ。命令されたからそれに従っただけなんだよ」

【NO.23】
 政府軍も反政府軍におとらず残虐でした。

【NO.24】
 反政府軍のスパイだと疑われていた父親とともに政府軍に捕らわれたドードーはその時わずか七歳でした。

【NO.25】
 「何週間も刑務所に放りこまれた。それから誰かがやってきて、ほかの町で裁判を受けさせるといったんだ。独房の扉が開いて、外に出された。僕たちは十人いた。みんな一台の車につめこまれて出発した。すると突然、運転していた兵士が車を左に向けて川へ向かったんだ。みんなは悲鳴をあげた。ふたりの軍人が車をとめて外に出て、ひとりずつ順番に呼びだした。そうして、頭を撃って川へ死体を放りこんだんだ。父さんも撃たれた。最後に残ったのが僕だった。そこで士官は僕を連れ帰って家の雑用をさせることにしたんだ。」

【NO.26】
 内戦が終わった今、多くの難民たちが祖国へ戻りました。貧しくて、食べるものも着るものもほとんどない子どもが沢山います。食べもののことで頭がいっぱいで、心の中で感じていることを口にできません。体の傷より心に受けた傷のほうがひどい場合も多いのです。

【NO.27】
 沢山の子どもが慢性の頭痛や悪夢や胸の痛み、四六時中よみがえってくる兄弟や姉妹や父母が殺されるときの光景に悩まされているのです。
 九歳のパブロもその一人です。彼は言いました。

【NO.28】
 「望みはたったひとつだよ。大人になったら、小さな子どもになりたい。そんだけさ」
 
【NO.29】
 首都マプトの道端で暮らす子どもも沢山います。歩道で眠り、物乞いをし、粗末な食事をしていますが、その多くは皮膚病や肺病や性病をわずらっているのです。生きていくために雑用を請け負ったり、体を売ったり、物乞いをしたり、車の見張りをしたり、荷物を運んだりしながら家族を探すのです。
【NO.30】
五歳の時から道端で暮らしているアモロは今十歳です。

【NO.31】
 「僕は戦争と飢えから逃げ出してここへ来たよ。何日もかかったよ。歩いたり、走ったり、ヒッチハイクしたりして、ようやくここに来たんだ。家族がどうなったかは知らない。村が襲われた時、僕は五歳だった。いま両親に会っても、僕だとは分からないかもしれないね。」

【NO.32】
道端で煙草を一本ずつ売っているフェリーズもこう言っています。

【NO.33】
 「ここにいれば、いつでも食べ物を見つけられる。レストランの外とか、市場の外にいれば、かならず食べ物が見つかるんだよ。でも、ぼくの村にはなにもない。だからみんな死んでいく。旱魃と内戦のせいで食べ物を探しにいけなかったから、みんな飢えているんだ。
 目を閉じて眠るときには、母さんのことを考えるようにしているんだ。そうすれば守られている気持ちになるから」

【NO.34】
  ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の首都サラエボで、冬季オリンピックが開かれたのは今から十四年ほど前のことです。

【NO.35】
 その時、世界中からこの国を訪れた沢山の人々のなかで、その十年後にここが恐ろしい殺戮の場所になるなどと想像した人がいたでしょうか? この古く、美しい、静かな国で、それまで仲よく暮らしていたはずの人々が民族の違いや宗教の違いを理由に突然争いを始めたのです。

【NO.36】
 それでは、十三歳の難民、アリックの証言を聞いてみましょう。

【NO.37】
 兵士たちが、僕たちに家の外に出ろといいました。そして家に火をつけて燃やしてしまいました。それから、僕たちを列車のところに連れていって、男の人たちを全員地面に寝かせました。
 兵士たちは、そのなかから殺す人を何人か選びだしました。僕のおじさんと、隣のうちの人も入っていました! それから、兵士たちは機関銃を発射して、その男の人たちを殺しました。次に兵士たちは、女の人たちを列車の前のほうの車両に乗せ、男の人たちを後ろのほうの車両に乗せました。列車が動き出すとき、兵士たちは後ろのほうの車両を切りはなして、男の人たちを捕虜収容所に連れていきました。ぼくはそれを全部見ていたんです!
 今、僕はねむれません。あの時のことを忘れようとするのだけれど、うまくいきません。もう、何かを感じるなんてできなくなりました。

【NO.38】
 サラエボに住む十二歳のエドマは外国の友だちにこんな手紙を書きました。

【NO.39】
 「私たちサラエボの子どもたちが苦しんでいることを知ってほしいと思います。私たちはまだ子どもですが、多くの大人が知らずに生きていくようなことを経験した気がします。皆さんを動揺させるつもりはありません。だけど知ってほしいんです。セルビア人が支配する地域にいたとき、母さんと私の名前は粛正リストにのっていました。それなのに、私は今、普通の暮らしをしている人たちには、こんなこと、理解できないと思います。私だって自分で経験するまでは分かりませんでした。

【NO.40】
 皆さんが果物や甘いチョコレートやキャンディを食べているとき、ここでは生きのびるために草をむしって食べています。こんど皆さんがなにかおいしい物を食べるとき、自分自身にむかって言って下さい、『これはサラエボの子どもたちのためのもの』って。
 皆さんが映画を見たり、美しい音楽を聞いたりしている時、私たちは地下室にかけ込んで、砲弾の飛んでくる恐ろしい音を聞いています。
 皆さんが笑ったり愉快にすごしている時、私たちは泣きながら恐怖が早く過ぎ去ってくれますようにと願っています。
 皆さんが電気や水道のおかげで快適に暮らし、お風呂に入っている時、私たちは雨が降りますようにと神様に祈っています。雨が降れば飲み水が出来るからです。
 テレビも映画も私たちが経験している苦しみや不安、身の毛のよだつような恐怖を正しく伝えてはいません。サラエボは血にまみれ、あちこちにお墓が出来ています。私はボスニアの子どもたちを代表してお願いします。こんなことが皆さんや、ほかのどんな人たちにも決して起こることがないようにして下さい。」

【NO.41】
 やはりサラエボに住んでいた十一歳の少女ズラータは、戦争が始まるまではどこにでもいる十代の少女と同じでした。学校の成績に悩んだり、男の子やパーティやお気に入りのロックスターや、スキーや海で泳ぐことに思いをめぐらす楽しい日々を送っていました。

【NO.42】
 宿題に集中しようとしているけど、だめだ! 町でなにかが起きている。丘から銃声が聞こえる。なにかが近づいているのが分かる。とてもいやななにかが……。不安でたまらなくて、宿題に集中できない。ミミー、わたしは戦争がこわい!
「ミミー」。ズラータは日記帳にこんな名前をつけて呼びかけながら、日記を書き続けているのです。

【NO.43】
 戦争は絶対もう終わると思ってたのに、今日、今日、うちの前の公園に砲弾が落ちたの。いつも友だちと一緒に遊んでいたあの公園に怪我人が沢山でました。ヤーツァとヤーツァのお母さん、セルマ、ニナ、おとなりのダード、それにたまたまそこにいた大勢の人が負傷したそうです。セルマは腎臓をなくしたって話だけど、まだ病院にいるのでどんな具合なのかわかりません。そして、ニナが死んだの。爆弾の破片が脳にささって死んでしまったの。いっしょに幼稚園に行って、よく公園で遊びました。もう二度とニナに会えないなんて。泣きながら思っています。どうしてなの? ニナは何も悪いことしてないのに。ニナ、すてきな女の子だったあなたのことを、いつまでも心にとめておきます。
 
【NO.44】
 砲撃がはじまると、子どもたちは家族と地下室にこもります。暗闇の中に無言で立ったまま抱きあっていると、大砲の音がとどろきます。老人も若者も、男も女も、子どもも、犬も猫も、みんなこなごなに吹き飛ばされるのです。砲弾は無差別の殺人を重ねます。
 砲弾が終ると、こんどは兵士があらわれて人々を脅します。兵士たちは男たちを駆り集め、殺すか、捕虜にしました。ある少年の報告です。

【NO.45】
 兵士たちが玄関のドアを叩いて叫んだ。開けろ!と。ドアを蹴やぶって、こんどは食糧貯蔵庫のドアを叩いた。それからドアを引っぱって無理やり中へ入ってきて発砲したんだ。
 最初にねらわれたのは姉さんだった。弾がお腹に当たって姉さんはそのまま倒れた。兵士たちは死んだぞと言いながら、姉さんを何度も蹴った。もう死んでいるのに、それでも蹴ることをやめようとはしなかった。

【NO.46】
 ストモレ出身の十一才のネアニは、友だちにこんな手紙を書きました。

【NO.47】
 僕は君にむかって話しています。運動場や町の通りから、自分の家の子供部屋から追い出された君に向かって話しています。
 君が苦しんでいると思うと、僕もつらくて、夜も眠れません。フットボールをしても歌を歌っても、君がいたころみたいじゃありません。ほんとうです。僕は自転車にカギをかけて、しまってしまいました。笑顔もしまってしまいました。いろんな遊びや子供っぽい冗談もしまってしまいました。
 まだまだ待たなきゃならないんですか? まだ子供なのに大人びてしまうなんて厭です。こうやって待っているあいだに、君が君の生まれた土地のことを忘れてしまうんじゃないかと心配です。だから、僕のところに戻っておいでよ。いっしょに海や夏の美しい夕暮れを眺めよう。いっしょに鳥の歌声に耳をすませたり、宿題をしたりしよう。

【NO.48】
 ゼニッツァの五年生になる子ども。

【NO.49】
 戦争のまっただなかで、私たちは、平和が来るのを待っています。
私たちは、世界の片隅にいます。私たちの声は誰にもとどかないようにみえます。でも、私たちは怖がりません。あきらめません。
 父さんたちは少ししか給料をもらえません。ひと月にやっと小麦粉が五キロ買えるくらいの給料です。私たちには水道も電気も暖房もありません。そういうことは全部がまんします。けれど、憎しみと悪意にはがまんできません。
 私たちの先生がアンネ・フランクの事を話してくださいました。私たちはアンネの日記を読みました。五十年たった今、また歴史がくり返されています。この国もアンネの国と同じように憎しみにあふれ、戦争や殺戮がくり返され、私たちは命を守るために隠れてすごさなければならないのです。
 私たちは、まだたったの十二才です。だから、政治や戦争を変える力がありません。でも、私たちは生きたいんです!こんな馬鹿げた戦争をやめさせたいんです。アンネ・フランクが五十年前に待ちのぞんだように、私たちも平和を待ちのぞんでいます。アンネは平和がおとずれるまで生きていることができませんでした。
 私たちはどうでしょうか? 

第三部・アピールと手紙

【NO.50】
 私たちは知っています。
 サダム・フセインが権力を握るためにいかに非道なことをしてきたかを。イラク北部のクルド人たちを殺害し、イランやクウェートに侵攻し、今もなお恐怖政治を続けていることを。
 しかし、第一次世界大戦時のイラクの混乱には、英国の情報将校がからんでいたことを私たちは、『アラビアのロレンス』で知っています。また、サダム・フセインのイラク共産党撲滅には、同盟国だったソ連が協力していた事実も知っています。そして、英米のイスラエル支援態勢が、アラブ・ナショナリズムの原因になっている事実も知っています。
 そして今、今回のイラク攻撃に対して、親米的とされていたアラブ諸国の国々からもアメリカ批判の声が上がっています。
 そして多くのアメリカの若者がイラクに向かいました。
 ブッシュの決断によって、破壊と殺戮の任務を背負った二十万人の兵士たちです。

【NO.51】
 私たちは、「平和のための戦争」という偽りの言葉を拒絶し、開戦に反対してきました。
 今、圧倒的軍事力でバグダッドに進む戦況の報道を見ながら、イラクの兵士たちに戦闘をやめろと言えない場所に立たされています。
 第一に、「自らと自らの愛する人たちに向かって外国の軍隊が銃を向けたとき、お前ならどうするか」と自分自身に問うてみなくてはならないからです。
 第二に、イラク兵の投降の報道に「イラクという国は、フセインというならず者に乗っ取られている。あんな独裁者に忠誠を誓って死ぬよりは、米軍に投降して生き延びよ」と言えるかどうか。そこまで考えたとき、ぞっとします。
 イラクがフセインの持っている暴力に乗っ取られた国であるならば、私たちのこの地球は、世界中から反対されてもイラクに攻め入ったならず者たちに乗っ取られているのだと。
 イラクの国境線を超えてヨルダンに脱出する難民たちは悲惨です。しかし、私たちは、この地球から脱出する事ができないのです。

【NO.52】
 事態の複雑さを知るにつれ、私たちは無力感にさいなまれます。すべてをあきらめたくなります。
 けれども、イラクの詩人マフムード・アル・ブライカーンはこんな言葉を残しています。

【NO.53】「静かな恐れの歌」

冬に 活力が 秋に 美が あるのだから、
話し声と 歌声に 時を超える こだまが あり、
炎には その荒々しい 踊りのしたに
灰の 肉体 煙の 魂が あるのだから、
目覚めには 限界が あり、
夜の 到来とともに 夢が 視力を 限りないものにするのだから、
失敗には 重い 心を 解放する 代償が あり、
謙虚さには 時を ものともぜす
その代償を 盗みとる 力が あるのだから、
悲しみには 限界が あり 涙は ただの 流れに すぎないのだから、
岩は 疲れた ひとびとにとって 枕であり、
叫び声の 旋風が 忘却を もとめて 魂を 圧倒するのだから、
死の後には 苦しみひとつ 無いのだから、
反乱にも 
亡命にも  
死より ひどい

また 大きい 罰などないのだから、
わたしたちは みな いずれは 塵に 帰すのだから、
わたしたちの 恐れにみちた 飢えが 充たされることは ありえないのだから、
わたしたちの 密林のなかで わたしたちは 不可能なものを 背負い
疑惑を 影に 投げこむのだから、
わたしたちは 
  生きないわけには いかないのだから、
生きよ、
すれば もう 砂の上に 設けられた ダムなどない。

【NO.54】
 その一方、ほんの少数ではありますが、別の任務を己に課してイラクに向かった若者たちがいます。
 九月一一日、世界貿易センターで兄弟のビリー・ケリー・ジュニアを亡くした「平和な明日をつくる九月一一日家族の会」のコリーン・ケリー。

【NO.55】
 私たちはみな、「九・一一」で命を落とした人々の顔を見、その人生について学んできました。私はこのまさに同じ理由によって、イラクに行くつもりです。私は彼らの人生について学びたいのです。私は、イラクに生きているのは、サダム・フセイン一人ではなく、希望や夢、そして私の兄弟のような家族を持った多くの多くの人々であると理解したいのです。
 私たちはキング牧師の誕生日を祝い、イラク市民であれアメリカ軍人の家族であれ、罪もない市民が私たちが九月十一日に経験した苦しみを味わわなくてすむよう、できる限り広く伝えていく予定です。

【NO.56】
 妹のローラ・ロックフェラーを世界貿易センターで亡くしたテリー・ケイ・ロックフェラー。

【NO.57】
 キング牧師は、戦争と貧困、戦争と人権軽視の間には密接な関係性があると考えていました。私たちは、イラクでの戦争に代わる非暴力的な方法を探究することにより、全世界的な共同体の中の信頼を築くことができ、そのことを人々が意思表示することによってテロリズムと戦争を本当に終わらせることができるという希望を持っています。

【NO.58】
 十一便で姉のローリー・ニーラを亡くしたクリスティーナ・オルセン。

【NO.59】 私は平和の証人としてイラクに行くつもりです。わたしは、 全世界的な共同体の一市民として、また「九・一一」で愛するものを亡くした人間の一人としても、平和のメッセージを広げる道義的責任を深く感じています。そのために、無実の人々の苦しみの証人となり、私たちの世界で起こっている争いに対し建設的で非暴力的な解決の端緒を作り出すために行動しています。こうすることが私が私の姉を追悼する最も有意義な方法だと感じています。

【NO.60】
「平和な明日をつくる九月一一日家族の会」は、二〇〇二年二月十四日に発足し、現在直接的な被害に遭った五十家族と二千人のサポーターがいます。その目的はテロリズムに対して有効で非暴力的な解決を求めることです。また戦争によって生じる暴力と報復の終わりの無い連鎖を断ち切ることを選びます。そうすることにより、彼らは自分たちと自分たちの子供たちのために、より安全な世界を作り出すことができると考えています。

【NO.61】
 ハワイに住むケンは、若くして海兵隊に入り、湾岸戦争で戦いました。
 しかし、湾岸戦争時、現大統領の父親ジョージ・ブッシュがアメリカ兵をモルモットにしたことに気づきました。今回の「人間の楯作戦」も、自分が「殺戮」に手を貸したことへのつぐないでもある、と述べています。

【NO.62】
 なんといったらいいのか、僕はまったく勇気づけられたんだよ。たった三週間前、僕と友人のクリスが、冷静さを捨てて行動せざるを得なくなったのは、アメリカ政府が世界中のどこの誰でも殺害する権利があると言いだし、攻撃されれば核兵器の使用さえ辞さないなんて言い出したからなんだ。こうなったら、イラクへいって、一番最近の犠牲者たちとともにそこに立つしかない、と覚悟を決めたんだ。他に誰も一緒に行く人がいなくたって、二人で行くと決めたのです。でも、そうならなかった。
 現在集まっているボランティアは、アメリカ、カナダ、オランダ、イギリス、アイルランド、フランス、デンマーク、トルコ、ニュージーランド、オーストラリア、スイス、そしてハワイから僕!

【NO.63】
 一方、息子がイラクへ派遣されることになったチャーリーとナンシーからの手紙。

【NO.64】
 私の息子のジョーは海兵隊、アラブ言語の無線偵察奇襲部隊員です。
 ナンシーと私はラッキーなことに、ノース・キャロライナ行きの飛行機に間に合い、週末をジョーと海辺で過ごすことができました。私達は世界が私達の周りで砕け落ちて来ることなどないかのように、ボディー・サーフィンをしたり自転車に乗ったり、のんびり過ごしました。
 ジョーは出発を控え、自分はイラクに行かされることを確信していました。
 私は誰の息子にも娘にも、石油やブッシュの政治的利得の為に死んでほしくありません。ジョージ・ブッシュのエゴや彼の財政上の後援者が、イラクに対してどうするか世界の国々と話がまとまらないと言って、ジョーが傷ついたり誰かを傷つけるようなことはご免です。イラクの無辜の女性、男性や子供たちが死ぬのも嫌です。
 先日ある店先で、店員が二人の客とイラク攻撃の可能性について話しているのが耳に入りました。店員は単独攻撃に反対していて政府の敷いた布陣に疑問を呈していました。客は二人とも「今すぐ攻撃すべきだ」と言っていました。私は進み出てジョーの写真を見せ、「これは私の息子です。彼はあなた方の戦争で死ぬかもしれません。どうしてそんなことが起こらなきゃいけないのか、教えて下さい」と言いたかった。でもしなかった。そしてそれをあとで後悔しました。ひとつには、泣かずに語ることが出来ないからです。今こうしてこれを書いている間も泣いているくらいだし。
 だから皆さんに、ジョーを知っている人にもそうでない人にも、彼の写真を見て戴きたいのです。或いは他の、危険に曝されようとしている人達-息子や娘や甥や姪や友人、知人達の写真を見てほしいのです。(66に続く)

【NO.65】
 (新聞記事)f.e.「(アンマン)カタールの衛星テレビ・アルジャジーラは二三日、イラク南部ナーシリヤでイラク軍の捕虜となった女性一人を含む米軍兵士五人と戦死した米兵五、六人の映像を放映した」

【NO.66】
 あなたが既に戦争に異議を唱えていたならば、ナンシーと私は感謝致します。もし反対しようかと考えていたがまだ行動していなかったなら、是非とも動いて戴きたい。
 そしてもしあなたが、戦いを回避する為のあらゆる可能性を試すことなく、より確かな情報を得ることもなく、全世界に本当に脅威があるのだと信じさせることも出来ぬまま攻撃を始めるべきだと思っているならば、ジョーの顔を見て、もう一度よく考えて戴きたい。色々な疑問を今一度問うてみてほしい。
 これは彼等が言うような難解な戦争などではない。
 私達の子供たちは死ぬだろうし、他にも多くが命を失うだろう。
 ベトナム戦争以前には「合衆国が世界を救わなければいけない」と言われました。そして多くがそれを鵜呑みにしたばかりに、何万人ものアメリカ人とそれを大きく上回るベトナム人が死んだのです。他の何千人もの人々は戦争中に経験した傷から完全に立ち直ってはいません。
 どうか考えて下さい。どうか行動を起こして下さい。

【NO.67】
 (新聞記事)f.e.「(ワシントン)米中央軍によると米軍キャンプのテント内で現地時間二三日午前一時半ごろ手投げ弾が爆発し、第一〇一空挺師団の兵士一人が死亡、一二人が負傷した」

【NO.68】M.  
【NO.69】
 アメリカのグローバリゼーションという経済政策でもっとも打撃を受けたのはアジアの各国です。アメリカのヘッジ・ファンドやウォール街は、アジアに大量の資金を投入し、突然引き揚げることによって九七年の金融危機を作り出しました。
 カリフォルニア大学の「日本政策研究所」所長のチャルマーズ・ジョンソン教授は、二〇〇〇年六月に『アメリカ帝国への報復』という著書の中で同時多発テロを予測しています。そのジョンソン教授は、日本国民に説明をする前にワシントンに飛んで「自衛隊による後方支援」を約束した小泉首相を、こう笑っています。

【NO.70】
 彼は、自分が言いたいことより、相手が聞きたいだろうという言葉をリップサービスしているにすぎない。だから就任直後、キャンプ・デイビッドでブッシュと会ったときも京都議定書問題で議長国日本の意見を主張することもなく、ブッシュの意見を聞いて「反対する西欧諸国に伝える」と言った。そのくせ、その足でヨーロッパに行き、フランスのシラク大統領やイギリスのブレア首相に会うと、「よくわかった。ブッシュに伝える」と答えて帰ってきた。
 米国は今、日本に再軍備をしてほしいと願っており、新ガイドラインで日本に米国製の軍事製品を買えと圧力をかけている。世界一の武器セールスマンであるペンタゴンにとって日本ほど無邪気でお人好しな上客はいないのだから……。

【NO.71】
小泉純一郎首相。
 今から六十数年前、アジアの東のはずれにある私たちの日本は、欧米諸国との戦争を始めました。その時、日本の若者たちは、欧米の侵略からアジアを守るというスローガンを信じて戦い、日本は世界の孤児となりました。
 その戦争に敗れた日本は、アジアの国々に謝って、「国際紛争を武力では解決しない」と世界に約束しました。
 しかし、その四年後には、自衛隊の前身である警察予備隊を作り、「アメリカの正義」のための朝鮮戦争では日本の米軍基地が使われました。その後のベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン爆撃といったアジアの国々へのアメリカの攻撃に、日本は米国の後押しをし、ついには自衛隊をインド洋に派遣するまでに至りました。
 六十年前、日本は「アジアを侵略する米英を懲らしめる戦争」だと偽りを言いました。
 しかし、あなたは今、アジアを攻撃する米英を支持しています。そんな日本を、アジアの人々はどう考えるでしょう。
 一昨年、アメリカの経済力の象徴である貿易センタービルが自爆テロによって崩壊したとき、アジアの人々が驚喜乱舞する映像をテレビは報じていました。
 かつてアメリカが広島・長崎に原爆を落としたニュースを聞いた時、アジアの人々が「よくやってくれた」と、嬉し泣きをしたという事実があります。
 私たち日本がどれほどアジアの人々に憎まれていたのか、そして今、アメリカがどれほどアジア五十億の人々から憎まれているかを、私たちは知ることになったのです。
 日本がアメリカの友好国なら、その憎しみの結果であるテロは、けっして武力では抑えられないということをブッシュ大統領に教えてあげることが、先の戦争に倒れた日本の兵士たちへのあなたのなすべき償いだと私たちは考えます。
 私たちは知っています。地雷だらけのカンボジアでボランティアを続けている日本人たち、ソマリアのエチオピア難民のために灌漑用の風車を作ってきた日本人たち、アフガニスタンで井戸を掘り続けている日本人たちが、いかに現地の人々から信頼されているかを。
 あなたのブッシュ支持のたった一言で、フィリピンのネグロス島の、チェルノブイリの、バングラディッシュでボランティアたちが数十年にわたって築いてきた日本人像が、こなごなに崩れました。 あなたには、日本人を爆弾を落とす側に変える権利はありません。
 私たちは今、アメリカの戦争を支持する小泉政権を批判し、不支持の行動を全国的に展開することを宣言します。
 そして、アジアへの攻撃を支持するアジア唯一の国になって、ふたたびアジアの人々に憎まれる日本には、なってはならないと思います。
 私たち「歴史の記憶を語り続ける責務を持った」演劇人は、爆弾を落とす側でなく、爆撃の下に住む人々と共にあり続けることを今日、表明いたします。

【NO.72】
M. 
【NO.73】
世界の演劇人に対する呼びかけ 

 私たちは、「9・11」に強い衝撃を受けました。
 でも、私たちの受けた衝撃は、アメリカの一般国民の衝撃とすこし意味合いがちがいます。
 戦争と殺戮の二十世紀を終えて新たな世紀をむかえた時に、自由と民主主義を信じてきた先進国がこれまでまったく体験もしなかった一撃に出会った衝撃です。
 ニュールンベルグでナチス・ドイツを裁いた数年後に、アメリカ空軍は北朝鮮のダムを爆撃して、沢山の餓死者を生みました。しかし、あの時、北朝鮮がアメリカを攻撃したわけではありません。ベトナムもアメリカを攻撃したわけではないのに、アメリカ軍はベトナムに枯れ葉剤を撒きました。
 アルジェリアがフランスを攻撃したことも、インドがイギリスを攻撃したこともありませんでした。
 日本が中国に軍隊を派遣した時も、中国軍が東京を攻撃したわけではありませんでした。
 しかし、二十一世紀のとば口で起こった「9・11」は、人類史上はじめて、弱者が強国の中心部に一撃を加えたのです。
 アメリカの大統領が大好きな聖書から引用すれば、あのテロは、小さなダビデが放った巨人ゴリアテへの一撃でした。小さなダビデがパチンコで放った石はアメリカ製の航空機であり、直撃をうけたゴリアテの眉間が貿易センタービルでした。
 あのテロは、次の事実を私たちに教えてくれました。
 アメリカの三千億ドルという途方もない軍事予算は、アメリカに安全をもたらさなかった。世界中に設けられたアメリカの軍事基地、世界のあらゆる海に配置された米国艦隊はアメリカに安全をもたらさなかった。そして、私たちは知りました。三百キロの多方向から同時に二百個のミサイルをキャッチするレーダーと、十二個以上の目標を攻撃できる、射程百キロを超す迎撃用ミサイルを搭載したイージス艦も、素手のテロリストにはなんの効果もないことを。
 私たちは当初、ブッシュ大統領に、「イラク攻撃は非人道的であるばかりでなく、アメリカの国益をも損なう」との手紙を送ろうと考えました。
 しかし考えてみれば、アメリカ政府の中枢を占める人々は、すべてを知っているのです。私たちから、隠された真実を聞く必要なんかないのです。
 そして、世界最強の軍備を持つ国アメリカの暴走を止めることは、外側つまり外国からでは困難なのです。それができるのは、最強の国で選挙権を持つアメリカの人々です。
 私たちはそのアメリカで「冷静になってくれ」と孤軍奮闘しているわずかな人々に、外側からエールを送ることはできます。
 マクベスを批判しつつ、マクベスを愛することができる私たち演劇人は、それぞれの国の政府と国民に向かって「イラク問題の武力によらぬ解決」を求める声を上げるよう、ねばり強く呼びかけていこうではありませんか。

終わり